2017/11/30

「ピアノの先生らしくない」は褒め言葉

もし、
「○○らしくないね」
と言われたら。
 
みなさんは、
けなされたと思いますか?
 
それとも、
褒められたと思いますか?
 
 
今の私にとって、
「ピアノの先生らしくない」
と言われることは、
人生最大の褒め言葉です!
 
らしくないって言われて、
うれしがる人、
あんまりいないかしら(笑)
 
 
昨日も夫に、
「うちの教室が人気なのって、
私がピアノの先生らしくないから
なんだって」って言ったら。
 
「あー、今の一言で超納得!」
とそれで会話が
終わってしまった(笑)
 
 
私は、
子どもたちのピアノ人生の
一番最初の入り口として。
 
ピアノとの出会いが
ワクワク楽しいものであり、
幸せなものであってほしいと願い、
日々、活動しています。
 
 
ピアノ教師としての私の目標は、
導入のプロになることです。
 
 
ピアノに触れた人生最初の記憶が、
楽しいものであったなら。
 
ピアノはつまらないもの、
練習しないと怒られるもの、
と言ったような、
ネガティブなイメージを
持たずに済むと思うのです。
 
 
ちょうど今のママたちの世代に、
いわゆる「ピアノ嫌い」
になってしまった経験を
お持ちの方が多く。
 
お話を伺うたびに、
胸が痛くなります。
 
 
どこかで、
こんなお話を読んだことがあります。
 
 
ヨーロッパで活躍する
海外のプロのピアニストたちに
アンケートを取ったそうです。
 
「あなたの最初の先生は、
どんな先生でしたか?」って。
 
 
すると偶然にも、
答えは全員同じだったとか。
 
「いつもニコニコしていて、
優しくて、
ピアノの楽しさを教えてくれた先生」
 
 
Music Togetherが、
音楽人生の入り口なら、
ピアノ教室は、
ピアノ人生の入り口です。
 
 
入り口で、
「ピアノはつまらない」
って思ってしまったら、
もう終わりです。
 
 
その先いくら、
「いや、本当は楽しいんだよ」
って力説したところで。
 
やっぱり、
最初に植え付けられてしまった
イメージは、
そう簡単に書き換えできません。
 
 
自分自身、
ピアノが嫌になったことがあるから、
よくわかります。
 
でも私の場合は、
同じ「ピアノ嫌い」でも
理由はちょっと違っていて。
 
 
別に、
人前で弾くのがすごく好きとか、
ピアニストになりたいとか
思ったこともなかったのに、
プロのピアニストを養成する場所に
いたものだから、
心がついていけなくて、
すれ違ってしまったんですよね。
 
 
なのに、
今こうして、
ピアノを仕事にしているのは
なぜでしょう?(笑)
 
 
ひとつは、
イギリス留学での経験。
 
 
海外では、
みんな本当に楽しそうだった。
ピアノを弾くのが。
 
基準が、
上手い下手じゃなくて、
楽しいか楽しくないか
だったから。
 
 
まあ、
音楽院じゃなかったというのも
あるのかもしれません。
 
みんな、
プロの演奏家を目指すというよりは、
それぞれ楽器を専攻しつつも、
広く音楽を学んで学位を取りたい
という子ばかりだったので。
 
 
それから、
もうひとつ大きなこと。
 
 
それは、
自分のピアノ人生を
振り返ってみてあらためて、
気付かされたことですが。
 
私も一番最初に出会った、
ピアノの先生が、
素晴らしい人だったのです。
 
 
その先生は、
もちろん音教の先生でしたが、
幼児〜小学校低学年の子にしか
教えないという、
初期課程専門の先生で。
 
 
少なくとも、
小学校3年生で、
中期後期課程専門の先生に
変わるまで。
 
ピアノを始めた5歳〜小2までは、
ピアノが嫌だった記憶は
私には一切ありません。
 
 
今でも思い出すのは、
先生の優しい笑顔と、
穏やかな気のあふれるレッスン室。
 
三拍子、
ワルツを弾くときには、
手を取って一緒に楽しく
踊ってくれたこと。
 
どれも、
幸せな記憶ばかりです。
 
 
正直、
私よりずっとピアノが上手い先生は
世の中にごまんといると思います。
 
だからもし、
ピアノをもっと専門的にやりたい
という思いが出てきた子は、
私の元を卒業して、
どんどん羽ばたいていってほしい。
 
 
うちの長男のように、
音楽は楽しいもの、
ピアノは楽しいものという
絶対的な根っこを持っている子は、
プロの道へ行っても、
支えになるものが
自分の中にちゃんとあるから
頑張れるはずです。
 
 
ピアノは趣味でいいから、
ずっと楽しく弾いていたい
という子は、
どうぞいつまでも私のところに
いてください(笑)
 
みんなが大きくなっていく
成長の過程を見るのが、
とても楽しみです。
 
 
私がピアノの先生らしくない
と言われる所以は、
「ピアノ」にこだわっていない
からかな。
 
って言ったら、
語弊を生んでしまうかな。
 
 
ピアノを弾くというのは、
そもそも表現活動です。
 
テクニックももちろんないと
弾けませんが、
何か表現したいものがあるから
ピアノを弾くわけです。
 
 
その子どもたちの
表現力を育てること。
 
それには、
「ピアノ」じゃないほうが
いいときもあるのです。
 
 
他の楽器を使ってみたり、
スカーフを使ってみたり、
ボール遊びをしてみたり、
踊ってみたり。
 
 
MTの要素を取り入れる
っていうのはそこですね。
 
 
身体全体を自由に使って、
大きな表現活動から入ると、
ピアノを弾いたときに、
その活動が生きてくる。
 
 
私はダンサーではないし、
ダンスの経験はゼロです。
 
でも長年MTをやってきて、
最初に身体を動かすって
大事だなんだなって、
理解できました。
 
 
そんなふうなレッスンスタイルを
私に可能にしてくれたのが、
再三お話ししている
「マイファースト
ピアノアドベンチャー」
というわけなのです。
 
 
 
 
ピアノアドベンチャーを使い始めて、
私の中でも何か、
ふわっと枠から抜け出せた
感があり。
 
今では、
違う教本を使っている子たちでも、
自由な表現を伸ばしてあげるように
指導しています。
 
 
 
 
先日も年長さんのレッスンで、
楽譜では「ら」のポジション
だったのだけれど。
(イ短調/a moll)
 
「先生、この曲、
低いところで弾くともっと
悲しい感じになるよ」
 
って言って、
弾いてくれた子がいて。
 
 
それが本当に、
悲しさが助長された音に
なっていて。
 
一緒になって、
「本当だねー!低いところ、
ぴったりだね!」
って盛り上がりました。
 
 
他にも、
「もう弾かなくていいよ」
ってこちらが止めない限り(笑)
ずっとピアノを弾いている子や。
 
レッスンに来るなり、
ピアノの前に座って
好きに弾き始める子。
 
もう弾けるようになった曲を、
何回も何回も自慢げに弾いて、
ミニコンサートをしてくれる子。 
 
 
この間は、
「先生、猫踏んじゃった弾いて」
って言われて、
弾いてあげたりしました。
 
そしたら、
2階にいた夫にまたしても、
「ピアノのレッスンで
猫踏んじゃった弾く先生、
いないよ」
って言われてしまいました(笑)
 
 
いいのよいいのよ。
 
私は普通の、
世間一般のピアノの先生を
目指してはいないのだから。