2019/11/18

自由とふざけていいのとは違う

 早くも、
あっという間に
11月も半ばが過ぎました。
 
 
 
 
教室入口の
ウォールステッカーも、
ハロウィンから
クリスマス仕様に様変わり。
 
 
 
 
我が家は、
11月の一大イベント、
次男の受験が無事に終わり、
春から長男と同じ、
自由教育の小学校に行ける
ことになって、
ホッと一息ついている
ところです。
 
 
夜な夜な、
兄が弟に試験に出るという
平均台のやり方を
教えたりしてね。笑
 
 
 
 
そして、
嬉しいことに、
年長さんの生徒さんたち3人が、
みんな同じ学校ではないですが、
それぞれ自由教育の小学校に
合格しました!
 
 
過去を振り返ってみても、
自由教育の小学校を受験した
私の生徒さんや元生徒さんたちで
落ちた子は誰もいません。
 
自慢じゃないですが、
合格率100%!笑
 
 
私の初代MTの生徒さんで、
長男と同じ学校に通う
同級生のお母さんは、
「MTは何よりも素晴らしい
入試対策なんじゃないか」
とまで言ってくれていますが。
 
私はもちろん、
そんなつもりでMTやピアノの
レッスンをやっているわけでは
全くありません。笑
 
 
ただ、
小さい頃から、
一人ひとりの個性を尊重し、
強制せずに自由であることを
最大限に認めて、
成長を見守ってきている
ことは確かです。
 
 
 
 
 
しかし、
私が特別強調して
言いたいなと思うのは、
「自由であること」と
「ふざけていいこと」とは
全然違う、
別物だということです。
 
 
では、
MTやピアノのレッスンに
おいての自由とは、
何でしょうか。
 
 
それは、
あくまでも
「音楽の上で自由であること」
 
 
 
 
 
私の教室は、
自他ともに認める、
他におそらく類を見ないかも?
というくらいに
「自由な教室」です。笑
 
でも、
だからと言って、
ふざけて走り回ったり、
ピアノの下に潜り込んだり、
人の話を聞かなかったり、
そういう勝手な行動による自由は
やはり認められるものでは
ありません。
 
 
MTでも、
音楽に合わせて走るはOK、
でも全く音楽に合わないのに
ただ走り回っているのは
NGです。
 
 
 
 
 
音楽が目的で、
音楽の一つの表現として、
その延長線上に
「走る」があればいいけれど。
 
音楽は何も
耳に入ってこなくて、
ただただ、走ることが
目的になっている場合には、
ここは音楽教室なので、
公園などお外でどうぞ!
ということになります。
 
 
 
 
ピアノもそう。
 
例えば、
この間、バーナムの1巻を
やっている小2男子が、
「熊のように歩こう」
という曲を、
「オニヤンマのように
ホバリングしよう」
という曲に勝手にタイトルを
変えてきました。笑
 
 
どうなるのかと思ったら、
熊=四分音符の和音を、
オニヤンマ=十六分音符の和音の
連打に変えて弾いてきたのです。
 
もう、
おもしろすぎて、
大爆笑してしまいました。
 
 
こういう自由は、
私の教室ではノープロブレム!
お咎めなしです。
 
ただし!!
まずは楽譜通り、
弾けてからね!笑
 
 
好きにアレンジしてもいいし、
自由に弾いてもいいのだけれど、
最初はきちんと楽譜通り
弾いてほしいのです。
 
それができた上でなら、
私は何にも言いません。
 
 
 
 
目下、
ピアノ教室では、
12月のクリスマス会に向けて
みんなピアノやベルの練習を
頑張っていますが。
 
 
発表会やクリスマス会で
弾く曲についても、
私は何一つ強制せずに、
いつもみんなと一緒に
決めています。
 
 
自分で曲を決める自由がある
ということはつまり、
自分で選んだ責任がある
ということです。
 
 
自由には必ず、
責任が伴うのです。
 
単なる自由奔放では
困ります。笑
 
 
自分で選んだのだから、
最後まで諦めずに頑張って
練習してほしいし、
本番は楽しく自分らしく
弾いてほしい。
 
自由と責任の両方を、
常に子どもたちには
学んでもらいたいなと
思っています。
  
 
 
 
先日も、
電車を乗り継いで、
遠くから通ってきてくれている
年中さんの生徒さんと
クリスマス会の曲決めの
相談をしていたのですが。
 
 
彼女にはどうしても今
弾きたい曲があり、
でも時間的に考えたら、
最後までたどり着くには
ちょっと厳しそう。。。
 
 
いつもレッスンに一緒に
きてくださるお父さんは、
「そうですよね、
やっぱり厳しいですよね。
諦めたほうがいいですよね」
とおっしゃいました。
 
 
そこで私は、
この曲はたまたま
上手く途中で切れそうな感じ
だったからではあるのですが。
 
「とりあえず、
弾けるところまで弾いて、
最後はちょっと終わりらしく
アレンジしたら
いいんじゃないですか?」
と提案しました。
 
 
まずは、
楽譜通り弾いてほしい
というのはあるものの、
彼女の場合は「今」
どうしてもこれが弾きたい。
 
彼女の「今」を
優先してあげたいと
思ったのです。
 
 
最後まできちんと弾くのは、
来年の発表会でも
いいかもしれないし。
 
子どもはとにかく、
「今」が大事だったりもするので、
もちろん曲によってはやはり
難しくて泣く泣く
先送りさせていただくことも
あるのですが。
 
 
そしたらお父さん、
「なんて柔軟なピアノ教室なんだ!」
って感動してくださって。
 
私も思わず、すみません!
って言ってしまいました。笑
 
「柔軟なピアノ教室」
私にとっては、
嬉しい嬉しい褒め言葉です。
 
 
それに何よりお父さん、
自分の娘が弾きたいと言った曲を
MIDI音源でパソコンに繋いで
ソフトに取り込み、
自ら楽譜に起こしてきて
くださっていたのです。
 
そこまでして
いただいているのに、
私にはNOとは言えません。
 
 
 
 
私自身は子どもの頃、
自分の弾く曲を自分で選ぶ
権利はありませんでした。
 
毎回、
先生の言われるがまま、
次はこれねって言われて
曲を弾いてきました。
  
イギリスに行って初めて、
「あなたは何が弾きたいの?」
って先生に聞かれて、
思わず返す言葉に詰まりました。
 
え!?
自分で選んでいいの!?
 
それはそれは大きな
カルチャーショックでした。
 
 
 
 
私の考える、
ピアノを習う目的は、
自分を表現する手段、
引き出しを増やすことです。
 
ピアノを通して、
最大限自分を表現してほしい。
 
上手い下手じゃなくて、
ピアノにその子らしさが
出ていたら、
それでもう100点満点!
 
 
競うのは、
周りやお友達じゃなくて、
いつでも自分自身。
 
昨日の自分より今日の自分。
今日の自分より明日の自分。
 
自分の思ったように
ピアノが弾けるようになる
ことを目指しています。
 
 
 
 
冒頭のお話に戻りますが。
 
 
こんな私の教室で育った
年長さんたちだから。
 
過去の先輩たちのように、
みんなきっと、
自由な小学校に行っても
軸はブレずに、
自分をしっかり持って
大きくなっていってくれる
ことだろうと信じています。 
 
 
1年生になる春が
楽しみだね!!